掃き溜め(笑)

掃き溜め(笑)

見殺し(笑)

見殺しの経験はあるだろうか。

 

 

ハッとさせるような書き出しを狙ったのだが、その成否は取り立てて言うほどの問題では無い。一言に見殺すと言っても、字義通りに絶命を介すものと慣用的に困窮を指すものがあるのだが、今回俺がツレヅレナルママニ書き連ねるのは後者である。

 

 

高1の春。

入学したばかりの夢見るティーンエイジャー達はそれぞれに不安を抱えていた。高校デビュー、交友関係の構築、スクールカースト、性の悩み、相談等の中学4年生の王道の悩みはめいめいのクラス内での立ち居振る舞いに大きく作用していた。オタクであることをアイデンティティにする夢女子、ひな壇芸人さながらに面白さを女子にアピールする醜男。どれもが空回りしていたのは言うまでもない。

そんなある日、家庭科の授業中に悲劇は起こった。

俺の友達で、確か加藤とかなんとか言う名前の男が、(念の為注意をするが下の名前は茶ではない。)教師の質問に完璧に答えることで自己を誇示しようとしたのだ。

 

LGBTが最近話題になっていますよね。ところで、LGBTがなんの頭文字か分かる人いる?」

 

「はい。 Lesbian Gay Bisexuality Transgender です。」

 

ざわめく一同。なぜこの男は性的マイノリティを熟知しているのか、その残酷なテーゼは思春期の核たちに聡明さよりもキモさを感じさせたのだ。当然その授業のあとの休み時間には男子たちが桃色の罵倒を囁き、女子たちは平常を装うという閉鎖空間が発生してしまったのだ。

 

この時、俺もまた閉鎖空間の内側に存在していた。知っていたのだ。俺も。LGBTを正確に。でも、俺はそれを自己顕示の材料としなかった。にもかかわらず俺は、男達の低俗な笑いに身を投じていた。そして目の前では一人の男がヒエラルキーの最下辺に叩き落され、いまや三角形から除外されようとしている。

 

俺は友を見殺したのだ。

 

高3の秋。

英語の授業のときに、若い男性教師の言葉の弾みでアメリカのスクールカーストの話題があがった。俺は知っていた。アメフト部の男とチアリーダーの女で女王蜂と呼ばれる女が帝国を支配し、その下にその取り巻き、最下辺にナードと呼ばれるオタク層がいるのだ。そして教師が誰か知ってる人居るかと話題を投げかけた時、それに応える声があり、俺は強烈なデジャヴュを覚えた。視線をやると、日頃あまり表に立つことのない女子だった。その女子はつらつらと言葉を紡いだ。案の定、周囲は困惑とも嘲りとも取れる不快な笑顔で満たされた。あぁ、こうしてまた俺は見殺しにしてしまった。そんな無責任な懺悔を心の中で彼女に捧げた。

 

授業が終わり、移動教室へ向かうと例の女子が、ウチのクラスで言うところのアメフト男と女王蜂に話しかけられていた。

 

「でもさ、なんで〇〇ちゃん、アメリカに詳しいのw」

 

「あ、もしかして、この学校の女王蜂って〇〇さんかなぁww」

 

個人的にも、おそらく客観的に見ても意地の悪い場面に出会ってしまった。何故こいつらは、こうも非人道的な言葉を投げることが出来るのか。見殺しにしたという己の罪悪感が加速する。

 

しかし、女性とは強い。

 

「いやいやwどうみても私なんかナードでしょww」

 

日頃見せない彼女の気丈さに一方的に救済された気がした。